心をひとつにがんばろうNIPPON
JAFSアジアの人々とともに・井戸を贈って32年
第58回JAFS松原ぞうすいの会
松原で見つけたオンリーワン!
どこにも負けないこだわりの河内鴨
日 時:2012年1月22日(日)12:00〜14:00
ゲスト:津村 佳彦 氏(有)ツムラ本店 専務
お 話:松原が誇る「河内鴨」ブランド。その道のりと熱き思い。
東日本大震災で、地域のつながりが見直されました。今回のぞうすいの会、
テーマは地元を知ろう!地域で頑張っている人から学ぼう!ということで
松原ブランド研究会のメンバーでもある、合鴨飼育家の津村佳彦氏のお話です。
まるで映画スターのようなド派手なファッションで現れた津村氏。
期待を裏切る嬉しくも華々しい登場です。まるでオンステージです。
しかし、それ以上に何よりも、そのお話の内容には皆が吸い込まれて
いくような説得力がありました。強烈な現代社会への批判は、日々生
きている合鴨たちを育てることによってのみ知ることのできる、深い
洞察力に裏打ちされています。人間も鴨も同じ。そこから導かれる言
葉に耳を傾けましょう。
何度かにわけてレポートします。
どうぞあなたも津村佳彦ワールドへ。
津村さんのお話 レポートその? 食の安全を超える大きなお話
★ 合鴨飼育の仕事をしていて、私が感じる幸せ
今私は47才です。大阪の松原市で、私で5代目の明治の時代からの合鴨飼育の家業に就いています。私は今この仕事をしていて、本当に幸せ者だと思っています。「河内鴨」
のブランドをつくりあげ、薬を使わない安全な合鴨を、なおかつ工夫に工夫を重ね、ロース肉を最高の味に育てている、今の自分の仕事に誇りを持っています。生き物を卵からヒ
ナになる誕生にかかわり、そのヒナを大切に育て、そして生き物を食べ物にかえ、そして皆さんにお届けするという、一連の流れすべてに責任を持ってかかわることができ、喜び
を感じています。
お客さんのなかには、子どものアトピーが、津村さんの合鴨なら出ないと言って感謝されることもあります。プロの最高の料理人から、ツムラの合鴨の味は良いと、本当に味の
わかる人に言ってもらえることも嬉しいです。ある日余命幾ばくもない父親のために息子さんが鴨肉を買いに来て、「親父に最後に何が食べたいかと聞いたら、ツムラの合鴨だと
いうんです」と言って下さいました。もう、一切れくらいしか食べられない体なのに、最後の一口にお父様がそうおっしゃったということに、感無量でした。本当にありがたいことです。
安全や味を大切にする私のやり方では大量生産はできませんし、日数も手間もかかります。でも、本物を本当にわかって下さる方々に支えられています。また食べ物と人との関
係、生き物と人との関係、世の中の生産や消費、心のあり方、おかしいと思うことが、いろいろあります。皆さんにもっと知ってほしいこと、伝えたいことがあります。合鴨を育てて
いるなかで日頃思っている、そんなことを今日は少しお話をさせてもらいます。
★ のっぺらぼうの顔のないヒナが誕生した衝撃
今から30年以上も前の話です。私が小学生だったころ、アメリカから肉を早く大量に生産できるという抗生物質、筋肉増強剤が入ってきました。早くヒナを大きくすることが
でき、病気でも死なないというのです。そのころ、私はもうすでに家業の手伝いをしていて、エサを与える仕事も任されていました。そんなとき、これからの時代におすすめだと
いうその抗生物質を、私は実験のように100倍に薄めて使ってみました。半年ほど経過してわかったのですが、確かに少し死亡率が減ったような気がしました。さらに私はその
薬を10倍に薄めて与えて見ました。ところが、半年経った頃には何と奇形が産まれ始めました。足が3本や4本のヒナが誕生したのです。その恐ろしさの確証を知りたくて、私
はさらに試しに原液のままでその薬を使ってみました。すると、何と、ついにのっぺらぼうの、顔のないヒナが誕生しました。その時の衝撃を私は忘れません。やはり薬は怖いも
のでダメ、ヒナの体にこんなに悪いのだから、きっとそのうち人間の体にも影響がでるはずだと、家族で話していたのを、今でもありありと覚えています。それから、私たちは世の
中の流れに逆らって、今までどおり薬を使わない飼育の道が正しいのではと思い続けました。
★ 農薬も放射能も同じ。利益優先の結果、命を犠牲にしている
その後1986年にチェルノブイリ原子力発電所の事故が起こりました。その数年後に、地域のベラルーシやウクライナで多くの奇形の家畜が産まれました。のっぺらぼうの家畜
の赤ん坊の写真を見たとき、私はあのときのヒナと同じだと感じました。催奇形のリスクある抗生物質も、放射能というリスクのある原子力発電も世の中の原理としては全く同
じ。無理に効率よく大量の肉や電気を生みだそうとして、動物や人間の体に大変なリスクを作り出しているのです。福島の事故が昨年起こりました。私は子どもたちの体を本当に
心配しています。チェルノブイリの教訓はどこまで生かされているのでしょうか。
完全無農薬でがんばって野菜を作っている人がいます。私のようにわずかの薬を使用することにもこだわっている合鴨飼育農家がここにいます。しかし、どんなに地域で日々苦
労して育てていても、一瞬で起こった事故のために、地球レベルでは放射能の影響を受けてしまう。そう思うと、努力が水の泡になることが、本当に情けなく、悲しくなってしまいます。
人間も合鴨も家畜も同じ生き物です。家畜や野菜に悪いのなら、人間にも影響が出るのは当然です。卵アレルギーの子どもが、なぜか私のところの卵ではアレルギーが出ないと
言われました。抗生物質などの薬は、必ずアトピーなどで人間を苦しめます。安い卵、安い野菜、安い肉、あの値段でできるのがおかしいのです。何かカラクリがあると感じて下さい。
★ 鳥インフルエンザのときの無理解もはねのけて
6年前に鳥インフルエンザが流行ったとき、松原市のツムラでも菌が検出されたと新聞に載りました。本当に残念でした。行政の担当者だけでなく、警察まで来て
ずいぶん大層なことでした。毎日のように鴨を見ている私には、その菌が弱毒性だとわかっていました。その証拠に一羽も病気になっていない、発症していない、普
段と変わらず皆元気だったのです。
大正年間にスペイン風邪が流行って多くの人が亡くなりました。その経験から、私のひい爺さんの伝言で、うちでは必ず合鴨と一緒にニワトリを2〜3羽飼ってい
ます。ニワトリは自然界に近い合鴨よりも体が弱いです。だから、ニワトリが弱ってきたら気を付けること、ニワトリが元気なうちは大丈夫、ニワトリが元気なうち
は消毒しすぎてはいけない、薬は使わなくていいというのです。合鴨より体の弱いニワトリを一緒に飼うことは、菌が移るリスクもあるのですが、ニワトリの様子を見て
合鴨の健康も予測できるというのです。
私がそのことも、ニワトリの元気な様子も記者さんたちには説明したのですが、それでもニュースに流されてしまいました。弱毒性なのに、大々的にツムラの合鴨、鳥
インフルエンザに感染というわけです。メディアには気を付けたいと思ったのですが、同時に私はこれはチャンスだ!と思いました。なぜならツムラの河内鴨の名前が全国
的に広まったのですから!(笑)
鳥インフルエンザの流行ったときは、行政の指導でやむを得ず、抗生物質を使いました。ところが普段使用していないので、ほんの少し使うだけでよく効きます。人間もアヒルも同じです
よ。今はうちでは全く抗生物質は使っていません。エサにも水にもこだわり、床の乾燥に努め臭いの少ないストレスのない環境にもこだわっています。健康な合鴨たちです。
(注;ツムラではヒナ鳥を水に泳がしたり、水鳥としての合鴨の力を引き出す工夫もしている。)
以下、続きは次回に・・・・。
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